自然災害から学ぶ企業の安全対策

 一般社団法人日本金属プレス工業協会 安全・環境委員会のイベントでヒルタ工業株式会社(岡山県笠岡市、小田崇之社長) 笠岡工場を訪問しました。

 笠岡工場は、2018年7月の西日本豪雨で裏山から大量の土砂と樹木が工場内に流れ込み、被災者7人のうち2人が死亡するという悲しい事故に見舞われました。
 当時岡山県内では、7月5日午前9時台から降り始めた雨が7日午前11時台まで降り続き、3日間の総雨量は356.5mmに達しました。とくに倉敷市は、小田川の堤防決壊などにより死者52人、全壊4,646棟、半壊846棟など甚大な被害を被りました。また、倉敷市に隣接する総社市でも河川沿いのアルミ工場が爆発し、火災や爆風により周辺に大きな被害をもたらしました。

 そんな中、7月7日午前4時30分ごろ笠岡工場の裏山の斜面が高さ80m、幅30mにわたり崩落。工場西側の壁を突き破り、駆動系部品の生産ラインや出荷品、金型などを直撃しました。裏山は岩に覆われており、長年にわたり堆積した大量の土砂が、当時の記録的大雨と重なり一気に崩落しました。被災者6人が病院へ緊急搬送される一方で、被災区域で1人が不明であり、従業員は消防署員が作業するのをただ見守るしかありませんでした。

 当時の現場写真は、倒壊した機械設備が大量の土砂や樹木に埋もれ悲惨な状況を物語っています。土砂に埋もれた金型の大半は無事でしたが、多くの設備が廃棄になりました。

 災害発生後、自動車メーカーや部品メーカーから人員の応援を得て復旧作業が始まりました。客先からは手弁当で応援人員が集結し、動員は多い日には100人を超えました。各自手分けして工場の電気系統の復旧、漏電やショートなどの点検・修理、土砂がれきの撤去作業にあたりました。9日には一部生産ラインが稼働を再開し、被害を受けたラインを除き、10日朝から順次稼働しました。
 生産開始に向けた復旧活動では、まず支援企業のリーダーとヒルタ工業のリーダを選任し、以後毎日必ず朝夕2回の会議を開催しました。定例会議では、復旧活動の進捗をはじめ、インフラの復旧や工事の進捗、代替生産の状況などが詳細に確認されました。メーカーの生産を止めないという気概だけで目の前の困難に立ち向かったのです。

 災害から7か月後に生産開始に向けた普及活動は完了しました。

 ヒルタ工業は、再発防止に向けて今回崩落した壁面周辺の区域を立ち入り禁止としました。崩落再発時の衝撃を緩衝させるため、建屋外周に1トンの土嚢を設置しました。また、後世に被災を伝えるため、立ち入り禁止区域に隣接する形で被災設備を展示し、注意喚起を発信し続けます。裏山の5か所に地滑りセンサーを設置し、セコムと連携し24時間監視し、異常発生時には工場内に設置した警報機と警告灯が連動してアラートを通知します。

 我が国は、地震だけでなく津波、火山噴火、台風、洪水、土砂災害、雪害など、さまざまな種類の自然災害が多く発生し、その頻度や被害規模も年々増加しています。自然災害に学び、自然災害に備えることが、企業の存続に大きく影響することを再認識しました。(NUKUI)

斜面が高さ80m、幅30mにわたり崩落した
後世に被災を伝えるため、被災設備を展示