
ドイツ特派員 畠山佳奈子
ドイツの地政学環境は、ロシアによるウクライナ侵攻以降、大きく揺れ動いています。最大の変化は、①エネルギー安全保障、②安全保障・防衛政策(いわゆるツァイテンヴェンデ)、③対中依存のデリスキングの三点です。
まずエネルギー面では、ロシア産ガスへの依存を急速に引き下げた結果、ガス・電力価格が一時的に急騰し、実質所得や産業競争力に大きな影響を与えました。エネルギー価格は戦前比で大幅に上昇しました。一方で、このショックは再生可能エネルギーの拡大や省エネ投資を加速させ、エネルギー転換(Energiewende)は「地政学リスクへの対応」という色彩を一層強めています。
このドイツのエネルギー転換(エネルギーヴェンデ)は、2045年までのカーボンニュートラル達成を目標とする長期戦略であり、エネルギーシステム全体の抜本的な変革を目指すものです。
この転換は、①エネルギー効率の向上、②再生可能エネルギー導入の加速、③化石燃料からの移行期間における安定的なエネルギー供給の確保、という三つの柱を中心に進められています。

2番目のポイント、ツァイテンヴェンデ(Zeitenwende)とは時代の大転換を意味するドイツ語で、政治・安全保障・経済の方向性が戦後レベルで大きく転換したことを指す言葉です。この言葉を公式に用いたのは、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻直後の演説におけるオラフ・ショルツ首相でした。
安全保障分野では、いわゆる「ツァイテンヴェンデ」に基づき、防衛費の大幅な増額と防衛産業戦略が打ち出されました。政府は2029年までに防衛予算を約1.8倍に拡大する計画を掲げ、防衛産業を国家戦略産業として明確に位置づけています。これにより、装甲車や弾薬などを手掛ける企業への発注が急増し、新たなサプライチェーン需要も生まれています。
また、兵役制度の復活に向けた議論も進展しており、ドイツ国籍を持つ若年層(例えば、ドイツと日本のハーフである私の子どもたちを含む)も、将来的に兵役検査の対象となるようです。こうした動きから、ドイツが安全保障体制の強化に向けた準備を進めていることがうかがえます。

さらに、中国への経済的依存を減らすデリスキングは、EUおよびドイツ共通のキーワードとなりました。デリスキングとは、サプライチェーンにおける過度な中国依存からの脱却や、先端技術の対中流出防止を図りつつ、経済関係そのものは維持していく考え方です。
EUは重要鉱物やレアアースの対中依存を減らすため「ReSourceEU戦略」を打ち出し、リチウムやレアアースなどの調達先多様化や域内資源開発プロジェクトを支援しています。メルツ政権も2023年の対中戦略を見直し、「デリスキング原則」に沿った中国行動計画の策定を進めています。
加えて、EUレベルでの環境・気候規制も、ドイツおよびドイツに拠点を置く企業のコスト構造に大きな影響を及ぼしています。EUは「Fit for 55」パッケージの下で2030年までに温室効果ガス55%削減を掲げ、EU ETS(排出量取引制度)の強化や、国境炭素調整メカニズム(CBAM)の導入などを通じて、炭素価格シグナルを一段と強めてきました。しかし、2025年12月11日付の報道によれば、EU委員会は2035年以降も新しい内燃機関車の認可を継続する方針を示しました。これはメルツ首相の強い要望が受け入れられた結果とされています。従来型の内燃機関についても、バイオ燃料、e燃料、その他の低排出燃料を使用する場合には、2035年以降も稼働が認められることになりました。
これらの地政学的変化は、エネルギー多消費型産業や自動車産業を中心に、ドイツの製造業に大きな影響を与えています。化学・金属・ガラスなどでは高いエネルギーコストが収益を圧迫し、生産縮小や海外移転の動きも見られます。一方、自動車産業では、中国のEV攻勢や米国の保護主義が強まる中でも、主要メーカーが2030年に向けた電動化・ソフトウェア化投資を継続しています。
こうした変化は、ドイツに拠点を置く日系企業にとってもリスクと機会を同時にもたらしています。
第一に、エネルギー費用や人件費の上昇によりコスト構造が変化し、東欧諸国との組み合わせによる「ハブ&スポーク型」生産戦略の重要性が一層高まっています。第二に、EUの対中依存低減政策を背景に、バッテリーや電子部品の調達先が見直され、多国分散調達を進める日系企業には新たな提案余地が生まれています。第三に、ドイツ企業がエネルギー効率化、再エネ、自動化・デジタル化への投資を拡大しており、関連技術を持つ日系企業には市場機会が拡大しています。防衛・デュアルユース分野でも高信頼性部品への需要が増加しています。
最後に、ドイツは高コスト構造を抱えつつも、その戦略的重要性を一層高めています。日系企業にとっては、①ドイツを欧州R&Dおよび営業のハブと位置付けながら生産の最適化を進めること、②エネルギー転換・デリスキング・防衛強化といった潮流と自社技術をいかに結びつけるかを明確化することが求められます。リスクと機会を冷静に見極めながら、欧州におけるポジションを戦略的に再設定する姿勢が、今後の日系企業に不可欠となっています。
情報源:
Germany’s Energy Crisis: Europe’s Leading Economy is Falling Behind
Energiewende: Neue Forschung, Geschichte & Zukunft | Energiewende
Unsere Energiewende: sicher, sauber, bezahlbar | BMWE
Security and Defence Industry Strategy | BMVg.de
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