「娘の失脚は父親の限界」、何も残せなかったペートーンターン前首相

タイ特派員 齋藤正行

 「父タクシンの操り人形」だったペートーンターン・チナワット前首相は予想どおり、何も残せないまま政権を終わらせた。掲げた政策の多くはタクシン元首相の現役時代の焼き直しで、いずれも持続性を欠いて頓挫。同政権の終わりを惜しむ報道は少数にとどまった。

ペートーンターン前首相、「操り人形」と揶揄される政治手法の限界

 最低賃金引き上げは全国一律で1日400バーツ(約1800円相当)を目指したが、各界の反発を受けたことにより、県や業種を限定した段階的な実施にとどまった。引き上げ対象となったホテル業界からは「対応不可」との声が上がり、タイホテル協会が提訴の構えを示すに至った。

 現金給付も成果を残せなかった。国民に1人1万バーツ(4万5000円相当)を給付する経済刺激策「デジタルウォレット」は、セーター元首相から引き継いで第2フェーズを実施したものの、第3フェーズでは財源を確保できず頓挫した。コメ農家へも生産量引き上げを目的として現金を給付。しかし国際市場で競合国のインドに押されて輸出が減少し、在庫が積み上がって国内米価を下落させた。

 現金給付型のバラマキはタクシンの典型的手法だが、娘の政権では国民に多くの不満を残した。「ペートーンターンはデジタルウォレットに否定的」との噂も流れたが、それでも実施したことで「父親の政治支配」があらわとなった。

 観光促進は、米国で国際ホスピタリティ管理学を学んだペートーンターンが「自分らしさ」をアピールできる政策だったかも知れない。しかし、2025年をタイの観光年に指定した途端、国際犯罪組織が絡む治安への不安、地震発生による建築物への不安、カンボジアとの国境紛争の激化などの問題が相次ぎ、中国人をはじめとする外国人旅行者を減らす結果となった。観光収益2兆8000億バーツ(13兆円相当)達成も夢で終わった。

 カジノ(複合娯楽施設)法案はもともとタクシン政権時代に浮上し、ペートーンターン政権で再び立案された。本来は賭博などの地下経済を地上に引き上げるのが目的だが、ペートーンターン政権では「年間1000億~2000億バーツの観光収益を上乗せできる」と宣伝された。しかし今回も国民の理解を得られずに棚上げ状態となり、「外貨ばかり当てにしている」というマイナス印象を与える結果となった。

 ペートーンターン政権の崩壊は、タクシン一族とカンボジアのフン・セン一族との蜜月関係の終焉がきっかけとなった。国境紛争を巡り、ペートーンターンがフン・セン元首相との非公式な電話会談で自軍の司令官を「向こう側の人間」と呼び、その音声が流出した。当時すでにタクシンとの関係に不満を募らせていたフン・センによる策略ともいわれ、結果としてペートーンターンは失職に追い込まれ、国境での本格的な軍事衝突にもつながった。

 タクシンは第2次政権で国外逃亡を余儀なくされ、海外からの遠隔操作で何度か自身寄りの政権を発足させたが、いずれも失敗に終わっている。今回、タイに帰国して娘を動かしたもののやはり、思いどおりにはならなかった。(日本政府の予備費に相当する)中央予算を活用したバラマキ政策も国民からはもはや、「お金をくれるならもらっておく」といった程度の評価しか得られなくなっている。

 これまで、タイ経済に必要なのは「メガプロジェクト」といわれてきた。その意味では、タクシンの政治家としての評価は、第1次政権で実現したスワンナプーム空港だけとなる。

タクシン元首相と娘のペートーンターン前首相(プアタイ党フェイスブックより)