地政学リスクとその影響

メキシコ特派員 鯨岡 繁

【1】 TMSAコネクテッド内グローバルニュース第四回のテーマは、各国共通で「地政学リスクとその影響」と設定されましたので、メキシコの立ち位置から投稿致します。 

日本人なら誰しも、メキシコが米国と国境を接している事実を知っているでしょう。しかし、何故両国が国境を接して現在の国境線が決められたのかの歴史的理由を 答えられる人は多くないと考えます。現行国境の決定は1853年まで遡ります。

左の地図は駐メキシコ日本大使館のHPからコピーしたものです。その上に日本列島の地図を重ねました。米国とメキシコの国境の長さは1,951マイル、つまり約3,141Kmとされており、稚内駅から西鹿児島駅までの鉄道距離の2,760.9Kmより長いです。

さて、現行国境線決定に至る歴史の概略を以下に纏めますと:
・スペインのエルナン・コルテス将軍がメキシコを植民地化したのは16世紀初頭。
・スペインからの独立戦争は1810年9月16日に司祭ミゲル・イダルゴの独立宣言から始まり、メキシコがスペインから独立したのは1821年8月24日でアグスティン・イトゥルビデ将軍が独立を宣言した日。王党派の将軍が独立派に寝返り。
・米墨戦争は1846年~1848年。戦争の理由は米国の領土拡張主義にあったとされます。1836年にテキサスがメキシコから事実上独立(テキサス共和国)し、米国がテキサスを正式に1845年併合。しかし、メキシコは「テキサスは依然として我が国の領土」と主張し併合を認めず。これが武力衝突の最大の火種。当時のメキシコは、政権が短期間で何度も交代し、財政難且つ北部地域の統治が不安定で軍備も脆弱という状況で、米国の圧力に対抗できる体制ではなかった。
・この戦争の結果、1848年2月2日にメキシコシティの北方に位置するGuadalupe・Hidalgo村にて講和条約が締結、同年5月30日にケレタロで批准。その結果、カリフォルニアやニューメキシコなど広大な領土がメキシコから米国へ割譲されました。(私見ながら、トランプ大統領がGulf of MexicoをGulf of Americaへ変更しましたが、New Mexico州名を変更しないのは領土問題の再燃を懸念?)
・その後、1853年に南部の細長い地帯が米国へ売却され現在の国境線が確定したとの事です。アメリカは南部ルートの大陸横断鉄道建設に適した土地を必要としていた事とメキシコ側は財政難からアメリカの提案を受け入れたという背景が有りました。アメリカ側交渉者のジェームズ・ガズデン特使の名前にちなんで、「ガズデン購入(米側呼称はGadsden Purchase / メキシコ側呼称はVenta de La Mesilla)」と言われ、売買契約金額は1,000万ドルだったそうです。

【2】 米国は圧倒的な経済力・金融力・軍事力を以ってメキシコをコントロールしようとしていると言っても過言ではないでしょう。「米国の政策=メキシコの地政学」と日本企業は既に理解しているところです。メキシコの輸出の80%は米国向けと言われており、メキシコの経済・安全保障は地続きの米国と直結しています。それがNearshoringと称される由縁であり、メキシコにとってこの事実は最大のリスクでもあり最大の強みでもあります。メキシコから完成品や構成部品が米国へ供給出来ないと、米国の製造業には成立しない業種もあろうかと考えます。米墨間では原材料が何往復もして付加価値を双方に生み出している現実があります。

現在の北米3か国のFTAは2020年7月1日にトランプ第一次政権当時に発効したUSMCAですが、その前は皆さんもお馴染みのNAFTAで1994年1月1日に発効しています。米国・カナダ・メキシコ三か国のFTAがNAFTAつまり北米FTAと称せられた事から、「メキシコは北米に所属」と、当時認識しました。

トランプ政権は不法移民を当初メキシコに対する関税交渉の材料に利用しました。今も不法移民取り締まりは厳しく行われていますが、何故メキシコから不法移民が米国へ流れたのかの一因を見ておきたいです。

左図 (SmartArtグラフィックの循環で作成) はNAFTAがメキシコ農民をアメリカへの不法移民に追いやった時系列の動きを示したものと理解しています。米国の大農法に依る安価なトウモロコシがメキシコに流入し、タコスの皮であるトルティージャ用原料として利用されていた地元農家のトウモロコシを駆逐し、メキシコの栽培農家を崩壊させた、との説明を聞いた記憶があります。

昨年来、トランプ政権は盗まれた製造業を米国へ取り戻すと強く主張して、米国への投資を全世界へ要求しています。NAFTA当時の2010年3月にGene Taylor下院議員がH.R.4579という法案を提出しました。その主張は、NAFTAや同様の協定に依り、1993年との比較で米国の製造所は29%の縮小を見た事からNAFTAからの脱退と求めたものでした。この下院議員は民主党でしたが、トランプ大統領の主張と同根です。

【3】 法案H.R.4759の真の狙いは「製造業の国外流出阻止」だけだったのでしょうか?


諸説ある様ですが、軍事的理由が大きい様です。2003年3月19日に米軍に依る「イラクの自由作戦」が開始しました。しかし、2007年になってもイラク国内の混乱は収束できませんでした。

イラク駐留が開始されてから2009年初頭に至るまで、イラク駐留多国籍軍兵士の最大の死傷原因は道路脇や道路地面下に仕掛けられたIED (即席爆発装置)によるもので、米軍の死者数は、2007年5月には1ヶ月間としては過去最高の90人を記録しました。開戦時から2007年8月末までに合計3,800人になったが、IEDによる米兵の死亡者は4割以上の1,620人であった、との事です。歩兵を保護する意味で、米軍はMRAP (Mine Resistant Ambush Protected Vehicle)と称する特殊装甲車17,700台を緊急調達に動きました。

MRAP:対爆試験中のクーガー装甲車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

しかし、米国では製造業の減少に依り、この台数製造に9社も関与させる必要があった、と報じられていました。また、この車両を製造する為の熟練工も消滅していた事に米軍は気付かされました。特に、MRAP用の特殊タイヤはフランスとイスラエルのメーカーに頼らざるを得なかった事が衝撃的だった様です。

この様に、「盗まれた製造業を米国へ取り戻す」とのトランプ大統領の発言の背景には、民生用製造業の復活のみならず、本音の部分では軍需品の製造業を手の内で強化するという意思が働いていると感じますが如何でしょう? 

【4】 日本では殆ど報道されていませんが、米墨両国間には、Treaty relating to the

Utilization of Waters of the Colorado and Tijuana Rivers and of the Rio Grande(通称「1944年水利条約」)という条約が結ばれています。これは、メキシコから米国(特にテキサス州南部)に向けてリオ・グランデ(Rio Grande)川などから水を供給し、逆に米国からメキシコのTijuana等にコロラド川(Colorado River)経由で水を供給するという仕組みを定めたものです(下図)。

この水利条約の中には、リオ・グランデの特定支流分について5年ごとの供給義務を設定(合計1,750,000 AF/サイクル)して、米側に供給する義務をメキシコに課しています。2024〜2025年の最近のサイクルでは、メキシコの供給が大幅に遅れ、春〜夏に「大幅な未達(サイクル中では20〜30%台と報告)」と批判されました。これが米側の強い反発(トランプ大統領の「盗んだ」非難や制裁示唆)を招きました。

両国は調整に合意し(IBWC=International Boundary and Water Commissionの協議や2025年4月の合意)、国際貯水池からの追加移転や6つの流域で米の取り分を増やす措置で対応しましたが、条約の義務量(1.75百万AF)を完全に満たせるかは不確実で、日経は10月時点で「約5割未達」と報じています。

乾燥化や上流の水利用(メキシコ国内の農業・貯水)増大で供給余力が減少しており、制度(1944年)の前提と現実の差が拡大しています。いつの時代でも、どの国に於いても、水利問題は非常に大きな政治問題化する危険性を内包しており、2026年に予定されているUSMCAのREVIEW (※米側の理解はレビューではなく再交渉開始)を前に軟着陸して欲しいものです。

【5】 上述の通り、米国とメキシコとの間には非常に複雑で特有な関係が存在します。

メキシコの国内に目を向けると、国内最大の不確定要因である組織犯罪が問題であります。トランプ政権が最も嫌っているメキシコの麻薬カルテルに加え、選挙の度に候補者が暗殺され、ハングレ集団に依る強盗殺人や窃盗事件が発生し、治安の回復がなかなか達成されません。地方政府の脆弱性と治安対策に対する警察力の信頼性に疑問が残ります。

係る現状に対してトランプ大統領は最近時米軍を活用してメキシコ国内の麻薬カルテルの拠点を爆撃するという発言を続けています。メキシコ政府はメキシコの尊厳を踏みにじるものとして既にシャインバウム大統領はトランプ大統領に反論していますが、カリブ海に在ってはベネズエラの麻薬船を爆撃しなおかつ負傷した犯罪人の息の根を止める為に米軍に依る攻撃が実行されている事から、メキシコ政府の同意なしに米軍がメキシコ国内の麻薬カルテルを攻撃する危険性は払拭出来ていません。

トランプ大統領の最終判断に依り、メキシコ政府の同意なしに単独でメキシコ領内を攻撃する事が無い事を祈ります。米墨戦争に依る領土割譲に対するメキシコの怒りが178年の歳月を経過して、米墨加三か国がホストとなる2026年FIFAワールドカップ開催の記念すべき年に、噴出するのではと危惧します。

メキシコの地政学を考える際に、米墨両国間の歴史を注視する事が肝要との思いから歴史を紐解いてみました。米墨戦争の最中、1847年にはチャプルテペック城を守ってメキシコ軍士官学校の士官候補生たちが米軍と戦いましたが、6名の少年兵(最年少の12歳~19歳)が全員戦死しその勇気から国民的英雄として広く語られる英雄譚であります。彼らはNiños Héroes (ニーニョス・エロエス)、即ち「少年英雄」と呼ばれています。