100年の歴史を有するメキシコの自動車産業

メキシコ特派員 鯨岡繁

 第一回の寄稿は、「日墨人物往来」をテーマとし、その中で、ニッサンメヒカーナのCIVAC工場に触れました。CEOのイワン・エスピノーサ氏はメキシコでニッサンに入社しCEOへ上り詰めた方ですので断腸の思いだったでしょうが、日産経営再建計画(「Re:Nissan」)の一環として、CIVAC工場での車両生産を本年末で終了させる事を発表しております。第二回の本寄稿では、CIVAC工場への惜別の想いも込め、メキシコ経済の生命線である「100年の歴史を有するメキシコの自動車産業」をテーマと致します。

 筆者がメキシコの地を初めて踏んだのは2001年2月でした。メキシコシティの街中を欧米系の車だけでなく多くのサニーが走っているのを見て嬉しかったものです。そのモデル名が「サニー」ではなく、セダンの「TSURU」とステーションワゴンの「TSUBAME」だった事に衝撃を受けました。何故車種名がスペイン語ではないのか? 鶴も燕も、夫々「Grulla」と「Golondrina」というスペイン語が有るのにと訝りました。また、不思議な事に「TOCHIGI」とプリントされたステッカーが代理店に貼ってあるのを見て、サニーの生産は栃木工場ではないのに、「何故、栃木?」と感じた事を昨日の様に覚えています。栃木生産のCIMAを1988年に輸入を開始した事から、「和名」を表示する事で品質の良さをアッピールすると言う営業戦術だったのでしょうか。

いずれもタクシーに多数使用されていました。

TSURU
TSUBAME

 サニー生産の歴史を調べてみると、1965年に竣工した座間工場にて1966年から量産が開始されました。1966年とはニッサンメヒカーナ最初のCIVAC工場が完成し操業を開始した年でもあります。CIVAC工場での初期生産モデルは、ダットサン・ブルーバード(Datsun Bluebird)で、1975年には、ライトトラック(ピックアップ)専用の第2ラインが導入され、ダットサン・720などのモデルが生産されています。

 CIVAC工場にてTSURUが生産開始された年は同工場竣工から18年目の1984年で、5代目サニー(B11)でした。1987年にモデルチェンジが有って6代目(B12)となり、1991年には7代目(B13)が生産され始め2017年5月に生産終了まで26年間モデルチェンジ無しに生産され続けていました。販売台数は300万台を越えメキシコ人の心をがっちり掴んだロングセラーです。

 本稿を書き始めるまでTSUBAMEもCIVAC工場での生産と思い込んでいました。1982年にアグアスカリエンテスのA1工場が稼働を開始し、A1工場で最初に生産されたモデルが何と「TSUBAME」で当初は日本向け輸出仕様車も含まれていたとの事です。TSUBAMEがTSURUより二年も早くメキシコで生産されていました。何れも象徴的なモデルでした。

 下表は、株式会社フォーインの久保社長が主催しておられる自動車未来研究会の2023年8月定例会にてプレゼンを行いました際に提示したもので、メキシコへ進出をした日系OEMとTIER-1メーカーの趨勢を纏めたものです。1961年はニッサンがメキシコ事業に着手した年と日産自動車ニュースルームに発表されており、2021年はニッサンメヒカーナの60周年でありました。1961年は日系OEMのメキシコ進出の元年と言えます。TIER-1メーカーの進出は1990年以降に現地化の要請に呼応した結果と図表から言えそうです。


地色を黄色に塗ったそのメーカーは、筆者が立ち上げに参加した企業です。

 筆者のメキシコ赴任時期は、カルロス・ゴーンCOO(当時)が日産リバイバルプランを 発表したタイミングで、同プランの一つに「村山工場閉鎖」が含まれ、同工場は2004年に完全に閉鎖されました。工場閉鎖措置に伴い売却された大型プレス機が約25年の歳月を経過した今でもメキシコのケレタロの地で元気に存分に稼働している事実に触れます。

 高機能足廻り製品メーカーである㈱エフテックは、子会社であるフクダエンジニアリング㈱のメキシコ法人であるFEG DE QUERETARO SA DE CV(FEGQ)を2001年2月に設立しています。本業の金型製造に加えて、村山工場から移設する6連のタンデムプレス(500トン✕5基+600トン✕1基)を以って製造するプレス部品の溶接+アッシーも量産する事をFS段階から計画していたとの事です。

 2000年当時は今日と状況が異なり、自動車部品メーカーの進出は数少ない環境でした。同社の福田秋秀最高顧問(当時会長)は既に進出を果たした米国とカナダから俯瞰すると次はメキシコと決断され、プレス部品の量産工場が金型の設計・製造も遂行出来るメキシコ工場に仕立て上げるとの先見の明を具現化された事に心から敬意を表すものであります。グループ企業でウインドウレギュレータのJEMX(城南製作所)は間も無く20周年を迎えます。15周年の本体現法のF&PMも、最新鋭トランスファー機・溶接・塗装工程をフル稼働させ高品位の製品を米国へも供給しています。

グアナファト州の州政府経済局長官(Sra. Claudia Cristina Villaseñor Aguilar)のインタより

 General Motors de Méxicoが設立されたのは 1935年9月23日で2025年は設立90周年に当たります。GMの最初のメキシコ工場(歴史的に最初に稼働した組立工場)は、メキシコシティのTLALPAN地区に建設された「Planta México」で、1936年に着工(1936年4月に起工式)し、1937年1月18日に最初のChevroletトラックがラインを離れています。(この工場は、都市拡張の為に撤去され、既に存在しません。)

 日系OEMの中にあって1961年にメキシコへ初進出を遂げたニッサンは凄いと感じますが、何とGMはニッサン進出を遡ること約30年も早くメキシコに進出している事実に勢いを感じざるを得ません。 GMの現存の主力工場の開設年は以下の通りです。

  •   Ramos Arizpe(Coahuila):1981年開設。
  •   Silao(Guanajuato):1995〜1996年に操業開始。
  •   San Luis Potosí(SLP):2008年に操業開始。

 GMがメキシコへの初進出から90周年を迎えたのですが、FORDはどうか気になるところです。FORDも凄く、今年何と100周年を迎えました。1925年にメキシコシティに初の組立工場を竣工させております。グローバル技術ビジネスセンターと日本語で称して良いと思いますが、Centro Global de Tecnología y Negocios (GTBC =Global Technology and BusinessCenter :略称は英語表記の頭文字)をメキシコシティ郊外のナウカルパンに本年6月に記念オープンしています。メキシコにおける本社機能と技術開発センターを兼ねた自社ビルであります。

写真:Ford Blogから

 FORDはグアナファト州のイラプアトにエンジン工場を有しており、同州の経済局長が招待されて彼女のインスタに関連写真が掲載されています。

FORD CEO Jim Farley氏と展示された往年のモデル

 最後に、メキシコに進出をしたOEMの現地法人設立或いは生産開始年を調べて一覧表に纏めました。それを以下に挿入致します。メキシコの自動車産業はFORD進出の1925年から始まり、今年で100周年を迎えております。日本では大正14年に相当し、普通選挙法公布(5月5日)とか治安維持法公布(4月22日)の時代です。日本初の国産自動車は1904年の山羽式蒸気自動車ですが、日墨が今後一層協力関係を深める事を祈念致します。

メーカー名現地法人設立年/生産開始年備考
GM1935年(メキシコシティ)メキシコシティに初の組立工場を設立。90周年を迎えました。
Ford1925年(メキシコシティ)メキシコシティに初の組立工場を設立。100周年を迎えました。
Chrysler1930年代(メキシコシティ)メキシコシティのLago Alberto工場で組立を開始。
Volkswagen1964年(設立)      
1967年(生産開始)
プエブラ工場でビートルの生産を開始。
Nissan1966年(CIVAC工場)メキシコが初の海外生産拠点。
Honda1985年(設立)
1995年(エル・サルト工場で生産開始)
ハリスコ州のエル・サルト工場で生産を開始。
2014年(セラヤ工場)セラヤ工場は北米向け車両(現在はHR-V生産)及び CVTを生産。
Toyota2002年(ティフアナ工場)ティフアナに初の組立工場を設立。
2019年12月(アパセオエルグランデ工場)Tacoma
Mazda2014年(サラマンカ工場)サラマンカ工場でMazda3の生産を開始。
Audi2016年(サン・ホセ・チアパ工場)Q5の生産を開始。
BMW2019年6月(サンルイスポトシ工場)BMW 3シリーズ セダン(G20型)
Mercedes-BenzCOMPAS 2018年生産開始COMPASは2026年には閉鎖へ。
Kia2016年(ペスケリア工場)韓国は未だメキシコとFTA未締結
Hyundai2017年(KIAの工場にて生産)

関税が、100年間の自動車生産実績をコントロールする事が出来るものでしょうか?